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2016.11.03 Thursday

【シンクロニック☆ファン禁ツアー】《episode機奸量っ寮莪篤眇諭

ヤンキーからファンキーに転身し再び新宿に舞い戻った俺にはもうガラの悪い奴や口元に握り拳をかざし客引きする連中などは目に入らなかった(笑)。
俺の目的はただ純粋にダンスを楽しみ、可愛いお姉ちゃん達と遊ぶ為だった。

当時は俄かにDISCOブームの真っ只中で歌舞伎町界隈だけで300軒以上のDISCOがひしめき合っていた。
カンタベリーハウスなどの大箱が出現したのもこの頃だ。
映画ではジョントラボルタ主演の「サタデーナイトフィーバー」がヒットし、あちこちにイタリアンカラーのシャツに白いスーツのトラボルタ擬きが沢山いた。
タケノコ族が現れたのもこの頃だ。タケノコ族は原宿のホコ天で有名だが実は彼らも最初はDISCOを拠点としていたのだ。ただ彼らはダンスフロアで円陣を作り揃いの振り付けをする独特のスタイルだったために他のお客さんが踊りづらいという理由で円陣を作るのを店側が禁止したり入場制限をされ、そして彼らは拠点を原宿のホコ天に移したのだった。
そしてツバキハウス、ジャック&ベティなどのニューウェーブ系の店では文化服装学院の学生などが「オカマダンス」「オカマファッション」という髪型がテクノカットでまるで私立小学校の制服のような半ズボンに革靴といった出で立ちで踊るブームを盛り上げていた。このブームは一時で終わってしまったのであまり後世に語られはしないが、当時は確実に最先端だった。
雑誌Fineが創刊されたのもこの頃でサーファーファッションの若者やハマトラの女の子なども遊びに来ていた。
そんな様々なスタイルの若者たちが集まりカオスを形成していた新宿に勿論ファンキーマンも集まった。ただしその数はそれ程多くはなく各店舗に目立つ人間、所謂常連のダンサーは数名だった。
時代は大箱全盛期で店で流れる選曲もALL MIXだからKISS、ローリングストーンズ、デビッドボウイなどロックスター達もダンスチューンを発表していた。そんな様々な選曲のなかでファンクやソウルナンバーが流れるとここぞとばかりにダンサー達は各々自慢のダンスを披露し見せつけるのだ。そしてそれを観ている女子達は踊りの上手い男に憧れ取り巻きになる。といった寸法だ(笑)

当時の俺のナイトクルージングの定番はまずは総武線新小岩駅南口にあったDISCO「ピラミッド」に立ち寄り、それから新宿、六本木、赤坂などに流れていた。
そんなある日の六本木で俺の人生を変えた出来事が起きる。


つづく


-HULK-





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