ARCHIVE  ENTRY  COMMENT  TRACKBACK  CATEGORY  RECOMMEND  LINK  PROFILE  OTHERS
<< June 2018 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
<< 【シンクロニック☆ファン禁ツアー】 【Eepisode機曄毀っ寮莪篤眇諭 | main | SLAM VOL.26 >>
2016.03.10 Thursday

【シンクロニック☆ファン禁ツアー】《episode機奸量っ寮莪篤眇諭

ヤンキーからファンキーに転身する決意をしたもののなんの手本もない俺はソウルトレインを毎回欠かさずに視聴し(番組のスポンサーだったJUN&ROPEのピエロのコマーシャルがあまりにも印象的で今でも脳裏に焼き付いている)地元から近い船橋にあったディスコの「ドラゴン」という店に入り浸っていた。
当時の店のスタイルはどの店もDJタイムとバンドタイムが入れ替わり立ち替わりといったスタイルだった。新宿のアップルハウスやブラックシープなどもそうだったが、殆どがフィリピンバンドで黒人のバンドが演奏していたのは赤坂ムゲンくらいだったろうと記憶している。
ドラゴンも勿論フィリピンバンドが演奏していて当時のディスコヒット曲の「ハローミスターモンキー」や「レッツオールチャント」といったミーハーディスコソングを演奏していて皆その音に踊り狂っていた。田舎町の店だけあってコアなファンキーな曲やファンクなどは時折かかるだけであったが、その時折かかるファンキーな曲になると全ての客の視線を一点に集めていた男がダンスフロアにいた。友達が彼の名は「ボビー」てっいうんだと教えてくれた。彼はいつもアフロヘアーをバッチリと決めドレスシャツにフレアーのソウルパンツといったいでたちで華麗なダンスを踊っていた。
彼はいつも数人の可愛い女の子をまわりに侍らせ他の女の子からもアイドル並みにキャーキャーと騒がれもてはやされていた。
そんな踊りも上手く女の子にモテモテの彼は俺の憧れの存在だった。「俺もファンキーマンになればきっと女の子にモテまくるぞ!」などと淡い夢を抱いていたが、まだまだ見た目も内容もヤンキーあがりの垢抜けない兄ちゃんだった(笑)。
ボビーの真似をしてアフロをかけたものの近所の床屋でまだアフロをかけるに達してない髪の長さで無理やりかけたアフロというよりニグロに近いパーマでヤンキー臭さは抜けないし、体型も重量級柔道家のままだから女の子なんて近寄りもしない(笑)。
そんな俺を見て地元の後輩達は「先輩どうしちゃったんすか?なにがあったんすか?元の先輩に戻ってくださいよ〜」と泣きながら懇願する者までいた。
不良の先輩方のなかには俺が路線変更し付き合いも疎遠になったので俺を呼び出しイジメる人たちもいた。
だが俺はそんなイジメにも屈せずファンキーの道から絶対に離れようとしなかった。というより離れられなかった。というのも俺は毎日ディスコに入り浸り、ソウルトレインを観てはこの頃唯一できたダンス仲間数名と深夜に近くの神社の境内でラジカセを鳴らしダンスの練習に明け暮れるといった日常を送るうちにすっかりダンスの魅力にとり憑かれていたからだ。
もうダンス無しの生活は考えられなかったし、考えたこともなかった。
当時はまだビデオもDVDも無い時代だ。ソウルトレインダンサーが踊るダンスを俺は上半身友達は下半身と分割して観ては皆であーでもない、こーでもないと云いながらダンスの練習をするのはとても楽しかった。そりゃそうだ、その先には女の子にキャーキャー騒がれる筈の華々しい俺の未来が待っているのだから(笑)。
さてそんな日々が続きアフロもなんとか普通に見られる様になった頃、いよいよファンキーマンに転身した成果を試そうと新宿のディスコへ繰り出す決意(ヤンキー時代はダンスじゃなく喧嘩ばっかりだったが)を固め仲間とソウルトレインならぬ総武トレインに乗り込んだのだった。 

…つづく






コメント
コメントする








 
この記事のトラックバックURL
トラックバック
Powered by
30days Album